2013年12月24日

慈悲の瞑想


恐怖に打たれているものの 恐怖がなくなりますように。

悲しんでいるものの 悲しみがなくなりますように。

生きとし生けるものの 恐怖がなくなりますように。

悲しみが なくなりますように。

高い次元に住む生命から 低い次元に住む生命まで、

この世にあらわれた 形態あるものも、ないものも、

認識あるものも、ないものも、

すべての生命の苦しみが なくなりますように。

完全なやすらぎが 得られますように。


 バンテ ・ ヘーネポラ ・ グナラタナ著
マインドフルネスを越えて-集中と気づきの正しい実践』





2013年12月13日

怠り

スマナサーラ長老 法話より 

15  怠ること (Mada)

 Mada(マダ)というのは「怠ること」です。調子に乗って興奮している状態、酔っている状態です。


 酒を飲んで酔っ払っている人が、泥酔い状態ではなく、ほど酔い状態のとき、どうなるでしょうか?


 いい気分になって調子に乗っているでしょう。


 mada というのはそのような状態のことです。人はいつでも酔った状態でいると堕落します。思考力が低下し、物事を正しく見たり考えたりすることができません。周りの状況もわからなくなり、それで怠ってしまうのです。


 Mada とは、酒などに酔うことだけではありません。

 人は自分の感情に酔っています。眼耳鼻舌身に情報が触れると、その刺激に酔ってしまうのです。

 それから、自分の思考や概念などにも酔っています。それで客観性を失って、怠ってしまうのです。


2013年11月30日

絶えまなく流れつづける現象の変化・・・


絶えまなく流れつづける
現象の変化を観察するためには、
心が安定し、しなやかで、
柔軟で、清らかでなければなりません。
こうした心の明晰さは、

集中した心にのみあらわれるものなのです。
(本文より)

マインドフルネスを越えて-集中と気づきの正しい実践』 
 

2013年11月24日

慈悲の瞑想2

(まず、自分にたいして慈しみを向けることから始めます・・・・・)

自分と同様に、すべての生命が 「幸せになりたがっている」ことを理解したなら、すべての生命にたいして 丁寧に慈しみを育てていきます。

* * * * * *
私が幸せでありますように。苦しみがなくなりますように。

私と同様に、
親しい人も、知らない人も、
嫌いな人も、嫌っている人も、常に幸せでありますように。

この町に住むすべての生命が、   幸せでありますように。
この地方に住むすべての生命が、幸せでありますように。
この国に住むすべての生命が、   幸せでありますように。
この世界に住むすべての生命が、幸せでありますように。

世界に住むすべての人、個人、生命、生きものが、幸せでありますように。
女性、男性、聖者、凡人、神々、人間、低い次元の生命みんなが、幸せでありますように。
あらゆる方角の、あらゆる場所に住む一切の生命が、安穏で、幸福でありますように。
* * * * * *

バンテ. H. グナラタナ著
マインドフルネスを越えて』第4章より




2013年11月23日

『マインドフルネスを越えて―集中と気づきの正しい実践』

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033013293&Action_id=121&Sza_id=C0&Rec_id=1008&Rec_lg=100813マインドフルネスを越えて
……過去2000年以上にもわたって、「集中」 と 「気づき」 の二つの道は、十分な根拠のある実践法として体系化され、洗練されてきました。この二つが一緒にはたらいているとき、最も効果的に瞑想は機能するのです。
二つの道とされていますが、実際のところ、道は一つです。事実、ブッダは 「サマタ」 と 「ヴィパッサナー」 を別の道として教えられませんでした一つの瞑想の道であり、「苦を滅するワンセットの道」 として教えられているのです。

ンテ・H・グナラタナ「まえがき」より)

目 次

まえがき
第一章 集中の道
「信」はどのくらい必要なのか? 
なぜ深い集中が必要なのか?
ブッダに倣う 
禅定のロードマップ 

第二章 集中と禅定
どうすれば集中できるのか?
禅定とは何か?
正しい集中(正定)と間違った集中(邪定)
集中と気づき
明晰な理解 ―― 正知
禅定のメリット
禅定の落とし穴

第三章 準備を整える
道 徳
充実感
感覚を制御する
離れること ―― 遠離
気づきをもって観察する
八正道の実践
気づき
五つの力 ―― 五力

第四章 自分と他者への慈しみ
思考と行動で慈しみを実践
五種のタイプの人への慈しみ
なぜ禅定に慈悲が必要なのか?
慈悲の瞑想

第五章 呼吸の瞑想
呼吸のヴィパッサナー(観察)
四大要素 ―― 地・水・火・風
日常生活での瞑想

第六章 なぜ、集中できないのか?
なぜ五蓋が増えるのか?
集中と気づきで五蓋をブロック
五蓋に対処する
呼吸を数える
五蓋の取り除き方
束 縛(結)
五下分結
五上分結
禅定で無明を破壊する
心を観察し、話しかける

第七章 目的を明確にする
無 常
なぜ無常を見ることが重要なのか?
無常を「ヴィパッサナー」で観察する
無常を「禅定」で観察する
無 我
無我を経験するとは?

第八章 禅定のステージ
色界禅定
無色界禅定
出世間定 

第九章 近行定—— 禅定の入り口
瞑想対象を選ぶ
禅定の入り口
集中力の高まり
近行定と呼吸
第一禅定に近づく

第十章 第一禅定
もう一つ別の喜び
第一禅定の五つの要素 ―― 五禅支
善い思考 ―― と伺
禅定における「思考」のはたらき
七つの覚りの要素 ―― 七覚支

第十一章 第二禅定・第三禅定
第二禅定に達する
第三禅定に達する
禅定の熟達
熟達のステップ ―― 五自在
禅定はジャグリングのようなもの 

第十二章 第四禅定
集中と智慧の統合
禅定から出てヴィパッサナーへ?
感覚に基づく「捨」
心の統一に基づく「捨」
光と智
無相・無執着・空
第四禅定を使う

第十三章 無色界禅定
四つの無色界禅定
第一の無色界禅定――「虚空無辺処」(空無辺処)
第二の無色界禅定――「識無辺処」
第三の無色界禅定――「無所有処」
第四の無色界禅定――「非想非非想処」

第十四章 出世間定
聖なる出世間の道
「疑」の消滅
八つの覚りの段階(*預流・一来・不還・阿羅漢)

用語解説

もっと見る ⇒ こちら

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マインドフルネスを越えて -集中と気づきの正しい実践
著者 : バンテ ・ ヘーネポラ ・ グナラタナ

2013年12月1日 1刷発行
2016年 1月1日  2刷発行


2013年11月13日

Bhante Gunaratana's talks

Is attainment of Jhana a pre condition for the awakening of insight meditation and wisdom?
Is vipassana or insight meditation a more direct and faster way to awaken wisdom?

Bhante Gunaratana at Buddhist library, Singaporeシンガポール. sadhu!



2013年10月2日

親孝行

スリダンマーナンダ長老 
質問 「親孝行」について
 
 私は両親と遠く離れて暮らしていますが、どうすれば両親にたいし、親孝行をすることができるでしょうか?


答え (スリダンマーナンダ長老)
 
 老いた両親の近くに住んでお世話をするのが一番よいことでしょうが、他にも多くのやり方で感謝を示すことはできます。両親が若いころ私たちを育て、面倒を見てくれた恩にたいして、感謝を示すことができるのです。

 まず、思い出してください。子どものとき、両親が自分のことを大事に思っているかどうかを知りたくて、いつも両親と話したがっていました。
今は、いつでも話すことができます。

 定期的に電話をかけたり、お金をおくったり、ちょっとした贈り物をすることもできます。
両親が周りの人たちに自慢できるようなことをすることができるのです。両親は子どものことを自慢することが好きですし、子どもがいかに立派に生きているかということを話したがるものです。

 それから両親には、「子どもが自分のことを大事にしてくれている」
という何か証拠になるものが必要です。贈り物は高価なものである必要はありません。「お父さん、お母さんのことを思っています」などのメッセージを書いたカードをときどき送るだけでも、思いやりのある気づかいになります。特別な日を待つ必要はありません。

 それから当然、できるかぎり、両親を訪れるべきです。そして伝えてください。「お父さん、お母さんのことを大事に思っています。お母さんが作るおいしい料理が食べたいし、お父さんのアドバイスが聞きたいです」などと。

 両親は、自分が子どもの人生にとって重要な存在である、ということを知りたいものです。ですから、次のようなことは決して思わないでください。「私が両親を大事に思っていること、両親は知っている。そんなこと、わざわざ口に出して言う必要はない」などと。
 愛情や感謝を、形にして表すことが必要なのです。



2013年9月1日

道徳と集中

道徳や戒律を守りながら瞑想すると、欲・怒り・無知がだんだん弱まっていくことが経験としてわかるでしょう。

瞑想が進むにつれ、道徳を守ることのメリットが理解できるのです。

これが理解できると、自分を高く評価することも、他人を軽んじることもなくなります。

気づき、慈しみ、喜び、落ち着きなど、謙虚で公平、清らかな心のほうが、不純で汚れた、偏見のある、落ち着きのない、騒々しい心よりも、集中力を簡単に育てられる、ということが理解できるのです。

マインドフルネスを越えて ー集中と気づきの正しい実践』
バンテ・H・グナラタナ(著)より


2013年8月30日

スリダンマーナンダ長老、7回忌

スリダンマーナンダ長老が亡くなられて、7年。マレーシアの仏教寺院では、
さまざまな徳を積む行為をおこない、回向する法要がおこなわれてます。
「悪をやめ、善に達し、心を清らかにすること、これが諸仏の教えである」
Buddhist Maha Vihara, Malaysia
"Sabba papassa akaranam Kusalassa upasampadha 
Sachitta pariyodapanam Etam buddhanu sasanam"

生きとし生けるものが幸せでありますように


2013年8月18日

生 命

K. スリダンマーナンダ長老     
質 問
誰かに踏まれて死にかかっているアリがいます。どうすればいいでしょうか? もしそのままにしておけば、アリは苦しみ続けます。殺せば、もう苦しまなくてすみます。人に踏まれて苦しんでいるアリにたいして、どうすればよいでしょうか?
 
答 え
仏教は、「いかなる生命も殺してはならない」と教えています。
世の中には、安楽死という考え方がありますが、仏教は支持しません。苦しみを終わらせるために今生の命を終わらせることは答えではないのです。生命は来世においても業の結果を受けなければならないのですから。苦しみが延びるだけであり、苦しみは続いていくのです。

生命は最終的な解脱である涅槃(Nibbhaana)に達するまで、生まれては死に、さまざまな生涯を経て輪廻転生をします。もし生命が苦しんでいるのを見たら、苦しみを和らげるように最善を尽くすようにしてください。

もし苦しみを和らげることができない状況にあるなら、そのときは、その生命が負っている苦しみにたいして自分に責任があるわけではないのだから、悪い業をつくることにはなりません。

私たちにできることは、その生命の苦しみを和らげるように努力することだけです。もし和らげることができる状況でなければ、前にすすんでください。

ホスピスに行くと、多くの末期患者の方々に出会います。ガンや麻痺、エイズなど重大な病気で苦しんでいるのを見ると、いとも簡単に後悔や無力感、苦しみの巨大さにひどく落胆するものです。

でも、自分に何ができるのか、仲間のあいだで何ができるのか、ということに目を向けなければなりません。たとえすべての人を助けることができなくても、無力さに負けないようにしてください。苦しんでいる生命を積極的に助けようとすることは大事なことです。無力感に負けることは、自分にも他人にも善いことではないのです。

2013年8月2日

瞑想の目的

H. グナラタナ長老    

人生の目的は、日々、自己を向上させて幸福になることです。

私たちは幸福を得るために多くのことをやっています。
しかしそのほとんどは、幸福になるどころか不幸や痛み、苦しみ、トラブルを引き起こしているのです。理由は、心がまだ清らかではないからです。幸福をもたらすことのできるのは、清らかな心であって、汚れた心ではないのです。

**  **  **
瞑想の第一番目の目的は、自分の心を清らかにすることです。清らかな心が、やすらぎと幸せをもたらすのです。

瞑想の二番目の目的は、悲しみと嘆きを乗り超えることです。真理を観察し始めると、無常から生じる悲しみや嘆きに耐え、打ち克つことができるのです。

三番目の目的は、欲と怒りから引き起こされる苦しみや落ち込みを乗り超えることです。

四番目の目的は、いらだちや悲しみ、落ち込み、痛み、嘆きをなくすために、「智慧の道」を歩むことです。これが気づきの道であり、苦しみを滅する唯一の道なのです。

五番目の目的は、心の苦痛と汚れを完全に滅し、貪瞋痴(欲・ 怒り・無知)をなくすことです。

この五つの目的は、清らかな目的です。これ以外の瞑想の目的はすべて見過ごすことができます。なぜなら、「問題を根絶して真のやすらぎと幸福をもたらす」という結果を得ることができないのだから。

問題を無視したり避けようとするのではなく、心に生じたとき、注意深く問題に向き合い、対処することが大切なのです。

全訳文:http://homepage3.nifty.com/sukha/Gunaratana_diy_.html


2013年7月29日

Parents are the living gods

Below picture is worth a thousand words.
Love, respect and look after your parents. They are the living gods.
source: "Fearless lion" (sri lanka)

2013年7月21日

心の改善

スリダンマーナンダ長老(著)「仏教と政治」より

真の改革ができるのは、人の心だけです。外の世界(政治や社会)を強引に改革しても、それは長続きしません。根がないからです。

他方、人の心を改善し、そこから生じる改革には、根があります。一つ一つの根が、樹の枝葉に栄養を与えるのです。ですから、改革が起こるのは、人々の心が整い、道徳を守り、真理を見、仲間を大切にし、心が明るく活動しているときです。

お釈迦様が説かれた教えは、政治哲学でも、世俗的な快楽をすすめる教えでもありません。涅槃に達するために、涅槃へ至る道を教えられているのです。
つまり、この世に縛りつけている心の渇愛(Tanha)を滅することが、仏教の究極の目的なのです。

お釈迦様は 『ダンマパダ』でこのように説かれています。
「一つは利得に導く道、一つは涅槃へ至る道がある」

***
これまで政治について述べてきましたが、仏教徒は政治にかかわることができない、あるいはかかわるべきではない、という意味ではありません。政治は、社会の現実です。国民の生活は、それぞれの国の政治で決められています。

そこで、もし仏教徒が政治活動にかわわろうとするなら、そのときは政治的な権力を得る目的で仏教を利用してはならないということです。

一方、清らかな生活をするために世俗を離れた出家者は、政治活動には積極的にかかわらないほうがよいでしょう。

2013年7月18日

善い統治者

スリダンマーナンダ長老(著)「仏教と政治」より

お釈迦様は、「政府が善であることは重要である」と示され、このように教えられました。
「政府の主導者が 不正をし、不当な場合、その国は腐敗し、衰退し、不幸になる」
「政府は 腐敗を防ぎ、人道主義を重視する立場に基づいて行動すべきである」
   * * *
「チャッカワッティ・シーハナンダ経」では、統治者について 次のように述べられています。
 
・善い統治者は、公平に行動し、偏見をいだかず、国民を差別しない。
・善い統治者は、国民にたいし、いかなる憎しみもいだかない。
・善い統治者は、正当なことであるかぎり、恐れずに法を執行する。
・善い統治者は、執行する法について明確な理解を有していること。
 統治者に権限があるからという理由で 法を執行してはならない。
 良識があり、理に適う方法で執行すべきである。
 * * *
・国民から財を奪う統治者は、非難される。

2013年7月17日

善い統治者の10の徳

スリダンマーナンダ長老(著)「仏教と政治」より

ジャータカ物語のダサ・ラージャ・ダンマに、「善い統治者の10の徳」が説かれています。この10の項目は、今日になっても、国を平和に統治しようとする統治者に当てはまります。

 ① 寛大で、自己中心的ではないこと
 ② 高い道徳性を保っていること
 ③ 国民の幸福のために自らの楽しみを進んで犠牲にすること
 ④ 正直で、誠実であること
 ⑤ 親切で、やさしくあること
 ⑥ 国民の模範となるべく質素な生活を送ること
 ⑦ 憎しみを持たないこと
 ⑧ 暴力を振るわないこと
 ⑨ 忍耐があること
 ⑩ 世論を尊重し、平和と繁栄を促進すること 


 お釈迦様は、このように強調されました。
 「統治者は道徳を守り、公の権力を国民の幸福を向上させるために使ってください」

2013年7月12日

Equality


Promise of equality is not the truth of equality.

2013年7月9日

仏教と政治(2)

スリダンマーナンダ長老 著

 それから、現代の政治体制とよく類似するお釈迦様の教えがいくつかあります。

○すべての人間は平等である

 まず、エイブラハム・リンカーンよりもずっと前に、お釈迦様は「すべての人間は平等であり、人間の社会階級やカーストは社会が作った人工的な壁である」と説かれました。お釈迦様によれば、人間を分類するなら「道徳の質」に基づいてするように、と言われています。

○社会協力と社会参加

 第二に、仏教は、社会に協調することや活発に参加することを促しています。これは現代社会の政治でも積極的にすすめていることです。

○法と律を守る

 第三に、お釈迦様の後継者として任命された者はいないのだから、仏教僧団は法と律、いわゆる「法の秩序」に導かれています。今日(こんにち)でも僧団は比丘(僧)の行為を定め導く「法の秩序」を守っているのです。

○民主主義

 第四に、お釈迦様は会議と民主主義を薦められました。これは比丘の社会で見られ、比丘全員に、一般的な問題について決定する権利があるのです。
 注意を要する深刻な問題が起こったとき、その問題は比丘サンガの前に出され、今日(こんにち)おこなわれている議会制民主主義体制と同じようなやり方で議論がされました。二千五百年以上も前の、インドにおける仏教の集会のおこなわれ方が、現代の議会制度の基盤になっているのです。これには多くの方が驚くのではないでしょうか。

 仏教は政治家にたいし、「道徳を守ること、そして責任を持って政権を利用すること」を教えています。

 お釈迦様は普遍的なメッセージとして非暴力と平和を説かれました。暴力を振るったり生命を殺したりすることは認めません。「正当な戦争などはない」と断言しています。
 次のように教えられました。

 勝者は怨みを生み、
 敗者は苦しみに臥す。
 勝利と敗北を捨棄した者だけが、
 安楽に臥す。
(続きます)

2013年7月7日

仏教と政治(1)

スリダンマーナンダ長老 著 

仏教は、世俗的な事柄をすべて超越しています。それでも政治に関しては、よい政治を行なうためのアドバイスをしています。

お釈迦様は王族のカーストの生まれであり、自ずと王や王子、大臣たちとかかわりを持つ環境におかれていました。しかし、このような出生や人間関係があるにもかかわらず、お釈迦様は政治的な権力を仏教を広めるために使いませんでした。また、仏教を不正に利用して政治の力を得ようとすることも認めませんでした。

ところが今日(こんにち)では、多くの政治家がお釈迦様のことを共産主義者だとか資本主義者、帝国主義者などと言い、政治にお釈迦様の名前を持ち込んで、利用しようとしています。彼らは、現代の政治思想はお釈迦様の時代の相当後になってから西洋でつくられたものであるということを忘れているのです。

私利私欲で、お釈迦様の偉大なる名前を利用しようとする人たちは、「お釈迦様は世俗的な事柄をすべて超越し、究極の覚りを開いた正自覚者である」ということを思い起こさなければなりません。

宗教を政治に混ぜ込もうとする特有の問題があります。
宗教の基盤となるものは道徳、信、清らかさであり、一方、政治の基盤は主に権力です。これまで長い歴史の中で、宗教はしばしば政権を握る人々や、権力行使の正当性を確保するために利用されてきました。戦争、征服、迫害、非道、暴動、文化や芸術品の破壊を正当化するために、宗教が利用されてきたのです。

治的な意図に利用されるとき、宗教はその高尚な道徳観を捨てなければならず、世俗的な政治の要求のために道徳の価値を貶めることになるのです。

仏教の政治観

仏教は、新しい政治機関や政治体制を創ることについて指示することはしません。基本的には、社会を構成する個人を改善することにより、また社会が国民の福祉を改善し、資源を公平に分配し、人間の尊厳や理性を重視するよう、教えを示すことによって、社会の諸問題にアプローチするのです。

政治が国民の幸福や繁栄を保護することには限界があります。
どんなに理想的な政治に見えたとしても、国民が欲や怒り、無知に支配されている限り、政治が平和や幸福をもたらすことはできません。

さらに、たとえどんなによい政治体制があったとしても、人々が必ず経験しなければならない普遍的な要素があります。それは、

 ・善悪の業(kamma)の影響、そして
 ・世の中は無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anatta)に特徴づけられているのだから、真の満足も永続する楽もない

という二つのことです。仏教は「天界にも梵天界にも、輪廻の中にはどこにも本物の自由はない」とみなしています。

基本的人権を保障し、権力の利用に抑制と均衡が保たれている正しい政治体制があることは、社会の幸福には重要な条件でしょう。だからといって国民は、自由を完全に保障してくれる絶対的な政治を探し求めることに時間を浪費すべきではありません。

完全な自由というものは、どんな制度の中にも見出せるものではなく、「自由な心」の中にしか見出せないのだから。

真の自由が得られるのは、自分の心を観察し、無知と渇愛の鎖から解き放たれるほうへ努力するときです。善い言葉と善い行動を通して人格を育て、心を鍛え、心の可能性を引き出し、覚りという究極の目的に達するために仏教を用いるときにのみ、真の自由が得られるのです。

これまでのことから、「政治から宗教を切り離すことは重要である」こと、また「政治が国民に平和や幸福をもたらすには限界がある」ことが理解できると思います。

 (続きます)

Buddhism and Politics by Ven Dr K Sri Dhammananda Nayaka Thero

2013年5月24日

ウェーサーカ満月日

5月24日はウェーサーカ満月日 (日本は25日)
スリランカでは国中がお釈迦様にまつわる画や電飾で飾られ、盛大に、品格よく、お祝いされている様子。人々も、悪行為をやめ、善行為をし、互いに仲良く、楽しく、穏やかに、清らかな日を過ごしているようです。タイ、ミャンマー、マレーシア、インドなどの国々でも、お祝いされています。
◎ウェーサーカとは → こちら
  
     

 
              
 
 満月
    

 





 Photo by Pushpitha
  生きとし生けるものが幸せでありますように

2013年5月23日

Happy Wesak Full Moon Poya Day

Wishing everyone a very peaceful Wesak Day. 
May all beings be well and happy.


To avoid all evil,
to cultivate good,
and to cleanse one's mind,
this is the teaching of the Buddhas.

Dhammapada

2013年5月19日

自己破滅につながる行為とは?

仏教では、財を失い自己破滅につながる行為として、次の6つの項目をあげています。

○ 酒や麻薬に溺れること。(酔っぱらうと自分の行動や言葉を管理できなくなるから危険)
○ 夜遅くまで町を遊びまわること。
○ 踊りや歌、祭、パーティなど集会に熱中すること。
○ 賭け事をすること。(勝てば相手に怨まれ、負ければ悔しくなります)
○ 道徳を守らない人や悪い人とつきあうこと。
○ 怠惰に耽ること。

世の中にはこのような自己破壊につながる行為があることを理解して、不幸を免れたい人は、これらを避けるべきでしょう。
スマナサーラ長老 法話より(六方礼経)

2013年5月17日

You should do your own work, for・・・

Whenever the Buddha went, he won the hearts of the people 
because he dealt with their true feelings. 
He advised them not to accept his words on blind faith, 
but to decide for themselves whether his teachings are right or wrong, 
then follow them. 
He encouraged everyone to have compassion for each other 
and develop their own virtue, 
“You should do your own work, for I can teach only the way.”













2013年2月25日

Maghapuja day


 一切の悪を犯さないこと。

 善に至ること。

 心を清らかにすること。

 これらが諸仏の教えです。

 ダンマパダ183

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 Sabba papassa akaranam,  Kusalassa upasampada, 
 Sacitta-pariyodapanam,  Etam Buddhanusasanam.

 Dhammapada183

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~Maghapuja day!




2013年2月18日


あらゆる行為は、
心にもとづき、心を主とし、
心によってつくられる。
汚れた心で行ない、話すなら、
苦しみが付いてくる。
車輪が、荷車を引く牛の足跡に付いて行くように。



あらゆる行為は、
心にもとづき、心を主とし、
心によってつくられる。
清らかな心で行ない、話すなら、
幸福が付いてくる。
影が、その身体から離れないように。           


ダンマパダ1・2 


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Mano pubbangama dhamma, mano settha manomaya,
manasa ce padutthena, bhasati va karoti va,
tatonan dukkha manveti, cakkhan va vahato padan.

Mano pubbangama dhamma, mano settha manomaya,
manasa ce pasannena, bhasati va karoti va,
tatonan sukha manveti, caya va anapayini.

Dhammapada1,2

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2013年2月15日

理性


善い行為をし、他人に尽くしている人も、
他人から非難されることがあります。
むしろ、善い行為をしている人は、善い行為をしていない人よりも
非難されることが多い場合があります。

非難されても落ち込むことはありません。
落ち込まず、冷静に、
「正しい(身口意の)行為は幸福をもたらす」ということを理解してください。
このように、善い行為をするときは理性と理解力を保つことが大切なのです。
バートランド・ラッセル氏はこのように述べています。

 理性のない愛も
 愛のない理性も
 善い人生を実現することはできない


 ースリダンマナンダ長老 法話より

2013年1月10日

善友


ある日、アーナンダ尊者がお釈迦様にこのように尋ねました。

Upaddhamidam, bhante,
brahmacariyassa yadidam kalyānamittatā kalyānasahāyatā kalyānasampavankatā.

善友がいること、善友と共にいること、善友とつきあうことで、
仏道の半分が達成できると思いますが、いかがでしょうか。

これにたいし、お釈迦様はこのように説かれました。

Mā hevam, ānanda, mā hevam, ānanda. 
Sakalameva hidam, ānanda,
brahmacariyam yadidam 
kalyānamittatā kalyānasahāyatā
kalyānasampavankatā.
(Samyutta Nikāya)

アーナンダよ、そうではない。
アーナンダよ、そうではない。
善友がいること、善友と共にいること、善友とつきあうことで、
仏道の半分ではなく、仏道の全てが完成するのです。

(相応部経典)


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本年が皆様にとって幸せな年になりますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

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