2014年4月19日

ウェーサーカ祭

スリ・ダンマーナンダ長老著

 仏教の年中行事のなかで最も有名な行事といえば、聖なる三大事のウェサック(ウェーサーカ)祭です。これは仏教徒以外の人たちにも広く知れわたっている行事です。
 ウェサックとは、古代インド暦のウェサック月のことです。通常、ウェサック祭は五月におこなわれますが、四月下旬になることもありますし、六月上旬になることもあります。

 ウェサック(Wesak)の語源は、パーリ語ではウェーサーカ(Wesākha)、サンスクリット語ではワイサーカ(Waisākha)です。国によってはウェサック祭とかウェーサーカ祭と言わずに、「釈尊の日」として知られている国もあります。


偉大なる王子の誕生


 世界総人口の五分の一からにもなる大多数の仏教徒にとって、ウェーサーカ祭は特別に重要な日です。東は東京から西はサンフランシスコまで、世界中の多くの寺院に仏教徒たちが集まります。そして王室の快楽を捨て、人類に平和と幸福をもたらしたインドの王子に敬意を表します。

 正自覚者である釈迦牟尼仏陀は、紀元前六三二年、ウェーサーカの満月日に誕生されました。この幼い王子は「シッダッタ」と名づけられました。意味は、「すべての善いことをする者」です。シッダッタ王子の両親、スッドーダナ王とマハーマーヤ妃は、インド北部に位置する小さな王国を統治していました。

 王子が誕生したとき、老齢のアシタ仙人が宮殿を訪れました。そして王子を抱きあげて、最初に微笑んでから次に涙を流しました。そばにいた人たちは、その普通ではない態度を見て、「どうなされたのですか?」とたずねると、アシタ仙人はこのように言いました。

 「私が微笑んだのは、この王子はやがて、王位を継げば世界を治める偉大なる転輪聖王になり、もし出家すれば、世の人々を救い導く仏陀(真理に目覚めた方)になるだろう。私が涙を流したのは、王子が成長するまで私は生きていられないからである」


優れた智慧をもつ王子


 ゴータマ・シッダッタ王子は宮殿で暮らし、この世のあらゆる贅沢を享受していました。両親は、王子が外界の不快な現実に触れないようにと王子を保護しました。
 王子は聡明にして武芸に優れ、卓越した知性を発揮していました。しかし、そのような一時的な喜びには満足していなかったのです。

 王子は思慮深い人でした。ある日、一匹のヘビがカエルに食いつき、次の瞬間タカが空から舞い降りてきてカエルを銜えたヘビを捕まえ、飛び去っていく、という光景を目の当たりにしました。王子は考えました。
 「生きるということは、いま見た光景のように、絶えず強者が弱者を打ち負かすことではないか。この生存競争が終わるときにのみ、幸福が見つかるのだ」と。

 またある日、王子が宮殿の門外に出たとき、腰の曲がった老人と病人と死人を目にしました。王子はゾッとしました。いくら身体を大切にしていても、身体は老・病・死に支配されている、と。
 老人、病人、死人を見たあと、一人の行者を見ました。着ているものは簡素な衣でしたが、世俗の情欲を捨て去り、平穏な心を身につけていました。王子は、その行者が発している幸福と落ち着きに深い感銘を受けました。

 そして二十九歳のとき、すべてを捨てて、出家したのです。老・病・死の苦を解決し、幸福に至る道を求めるために。
 沙門となったシッダッタは、はじめ数人の指導者のもとを訪れて指導を受けました。しかし指導者の智慧には限界があり、自分が探し求めている問題を解決する助けにはなりませんでした。そこで、自力で真理を探究することを決意しました。並々ならぬ修行をし、六年もの歳月を経たのち、ついに真理に目覚めたのです。

 最初に覚ったことは「中道」です。「世俗の快楽に耽ることも、身体を痛めつける苦行に没頭することも、その両極を避けるべきである。心を清らかにして安らぎを得るためには、あらゆる面で中道を実践しなければならない.という真理です。


成 道


 沙門シッダッタは三十五回目の誕生日に、ブッダガヤーの菩提樹の根もとに坐って瞑想しているとき、ついに完全なる覚りを開かれ、正自覚者となり、成道されました。この日も、ウェーサーカの満月日だったのです。


真 理


 お釈迦様は、すべての苦の根源は無明であることを覚りました。人はエゴという幻覚に執着し、これがエゴを満たそうとする 欲望を生みだしているのです。

 お釈迦様の教えの根幹をなすものは、四つの聖なる真理(四聖諦)です。

 一番目は「苦の真理」です。生は、老・病・死・不満という苦しみに満ちています。いくら喜びを追い求めても、それは手に
入らず、さらなる苦痛や不満で終わるということです。

 二番目は「苦の原因の真理」です。欲望やわがまま、限りない渇愛が苦を引き起こしているということです。

 三番目は「苦の滅の真理」です。渇愛が取り除かれたとき、苦が滅します。四番目は.苦を滅する道の真理.であり、聖なる八正道のことです。

 聖なる八正道とは、「正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」の八つの道のことです。


入 滅


 他の偉大な宗教指導者たちと同様に、お釈迦様にもお釈迦様の教えに反発する者たちがいました。しかしそのうちの大勢が、説法を聞くうちにお釈迦様の教えに真理を見いだし、お釈迦様に帰依し、存在の苦しみから解脱するために正しい生き方を歩み始めたのでした。

 覚りを開いてから四十五年後、お釈迦様はクシナーラーで、大勢の比丘たちが見守るなか、二本の美しい沙羅双樹のあいだに横たわり、息を引きとりました。このお釈迦様の死は、究極の平安と至福への到達、つまり涅槃(Mahā Parinivāna)として知られています。この偉大なる出来事も、ウェーサーカの満月日に起こりました。仏教の紀元は涅槃、いわゆるお釈迦様の入滅日から始まるのです。


聖なる三大事

 
 ウェーサーカ祭には、世界中の仏教徒たちが、ゴータマ・ブッダの.誕生・成道・涅槃.という三つの偉大なる出来事をお祝いします。
 仏教はインドを出発点として世界のあらゆる国々に広がりました。そして教えを理解した人々の文化に、ただちに溶け込んでいきました。その結果、仏教美術や仏教文化はそれぞれの国で豊かに多種多様な形となってあらわれたのです。お釈迦様は断固として暴力を禁じましたから、その美術や文化は、慈しみ深く、あわれみ深いものとなりました。

 仏教の慣習も、仏教を受け入れた国々の文化に合うようにさまざまな形で適合していきました。ですから、ウェーサーカ祭も世界中さまざまなやり方でお祝いされているのです。とはいえ、本質的にその内容の多くは世界共通になっています。

 ウェーサーカ祭をお祝いするときに忘れてはならない最も重要なことは、この聖なる日は仏教の清らかな祝祭日だということです。ご馳走を食べたり、飲んだり、踊ったりして、お祭り騒ぎをする日ではありません。
 この日は、仏教徒たちが仏法にたいする「信」を再確認し、心を清らかにする日です。瞑想をしたり慈しみを実践したりする日なのです。


お釈迦さまへの敬意

 
 お釈迦様にたいしてどのように敬意を表せばよいかということについて、お釈迦様は非常に大切なことを説かれています。
 お釈迦様が涅槃に入られる前のことです。忠実なお弟子のアーナンダ尊者が嘆き悲しんでいるのを見て、お釈迦様はこのように説かれました。

 「悲しむな、構成されたものはすべて(この肉体も)滅びるのです」

 そして皆にたいして、

 「この肉体が滅びても、嘆いてはなりません。私が死んだあとは、私が説いた教え(法)がお前たちの師となるのです」

 法だけが、この世の中で永遠不変なものであり、無常の法則に支配されていないものなのです。

 さらにお釈迦様は、「私に敬意を表したいなら、単に花や線香、ろうそくを供えるだけではなく、偽ることなく正直に教えを実践して、精進しなさい」と強調されました。

 これがウェーサーカ祭のお祝いの仕方です。私たちが正しく生きることを決意して、心を育て、慈悲を実践し、人類に平和と幸福をもたらすために、ウェーサーカの満月日をお祝いするのです。

  聖なる三大事の日、ウェーサーカ祭が
  すべての生きとし生けるものに
  幸福と安穏をもたらしますように


  ■全訳はこちらです。


 CELEBRATION OF WESAK
 by Venerable Dr. K. Sri Dhammananda Nayaka Maha Thera,

 Published by the Buddhist Missionary Society Malaysia,
 Buddhist Maha Vihara
 123 Jalan Berhala, Brickfields 50470 Kuala Lumpur, Malaysia
 Published for free distribution

  



2014年4月8日

Those Who Cross Over

 There are few among humans 
 who go to the further shore;
 The rest of them run about 
 here, on this shore.

 But those well established
 in Dhamma,
 Those who practice Dhamma,
 Are among those who will cross over
 Beyond the realm of death 
 so difficult to escape.

 Abandoning the way of darkness,
 Cultivating the bright,
 The wise go from home to homelessness,
 Which for others is hard to enjoy.

 Desiring that rare delight,
 Renouncing pleasure,
 Owning nothing of defilements of the mind,
 The wise person should cleanse himself.

 Those whose minds are well established
 In the factors of enlightenment,
 Relinquish attachments
 And delight not in clinging.
 They, untainted and radiant,
 In this very world attain Nibbana.

 Paragamino Gatha
 Bhante Henepola Gunaratana. The Bhavana Vandana