2011/02/16

運勢

意志の弱い人は、
運勢や占いをすぐに信じます。
信じたり、恐れたりすることから、
失望、苦痛、緊張、ストレスが生じるのです。

意志の強い人、勇気や智慧、自信のある人は、
運勢の奴隷にはなりません。
さまざまな困難を 自分克服し、
人生を成功させるのです。

~スリダンマナンダ長老

2011/02/08

心を育てたい?

人々は世界の平和を願っています。
しかし、一人ひとりが自分の心で戦っているかぎり、
世界に平和が訪れることはありません。
平和を実現させるためには、
まず、自分の心を育てる必要があるのです。

「どのように心を育てればよいのですか?」
と訊ねる人もいるでしょう。
これは合理的な質問です。
でも、もっと大事な質問は
「自分は本当に心を育てたいのか?」
ということです。

もし確信をもって 「はい」 と答えられるなら、
確実に心を育てることができるでしょう。

~スリダンマナンダ長老

2011/02/06

幸運・不運

幸運と不運 …… 運を信じることは 大勢の人にとって ごく普通のことです。
私たちは、不意にやってくる善いことを 「幸運」だといい、
悪いことを 「不運」だといって、ものごとを運のせいにしがちです。
これは、業(ごう)の法則や 現象の本質を理解していないからです。

お釈迦様は このように説かれました。

 善いことが起こるのは 善い原因があるからであり
 悪いことが起こるのは 悪い原因があるからである
 これが業の法則である

悪いことに遭ったとき、それは今生か過去世で
自分がおこなった悪い行為の結果にほかなりません。
ですからそれを、運が悪いといって 運のせいにすべきではありません。
正しく言うなら、過去の悪行為の結果を受けている、ということなのです。

業の法則を理解している人は、
ものごとを運のせいにする という間違いはしません。
なぜなら 起こることはなんであれ、原因の結果、
つまり 過去で自分がおこなった行為の結果だということを知っているからです。

このように、善い生き方から生じる幸福も、
悪い生き方から生じる不幸も、
結局は 自分の行為に原因がある と理解できるのです。

運というものはありません。
成功するか失敗するかは、自分の行為しだいなのです。

~スリダンマナンダ長老

2011/01/09

両 親

両親は梵天であり、最初の先生であり、尊敬するに値する人である。

賢者は 両親を尊敬し、食べ物と飲み物をさしあげ、
服を着させ、寝させ、身体と足に油を塗り、洗ってあげる。

このように両親に仕える賢者は
この世で称賛され、死後 天界におもむく。

2011/01/08

食べるときの瞑想

「食べること」は 私たちの日常生活の中の一部になっています。
おいしいから食べる、健康にいいから食べるというだけでは、
智慧は育ちません。
テーラワーダ仏教では、
食べることも 心を育てる修行の一つとして教えています。

まず、食べ物を見たとき、「見えた」 と確認してください。
お椀を持つときには 「持ちます」、
お箸で食べ物をとるとき 「とります」、
口に運ぶとき 「運びます」、
口をあけるとき 「あけます」、
口に入れたとき 「入れました」、
かむとき 「かみます」、
のみこむとき 「のみこみます」 などと確認します。
このように、食べることの一つ一つの行為を確認することで、
智慧が現われるでしょう。

シンガポールの長老より

2010/12/21

8つの立派な性格

ハッタカ・アーラワカ (Hattaka) は、大変人気のある若者で、500人もの仲間を統率する立派なリーダーでした。お釈迦様は比丘たちに、「ハッタカは稀有で立派な性格を8つ身につけています」 と話しました。その8つとは、

 1.仏法僧に対して確信がある(Saddha )
 2.戒律・道徳が完全に身についている(Silava )
 3.悪行為をするのを恥じる(Hirima )
 4.悪行為をするのを恐れる(Ottapi )
 5.学識がある(特に仏教に対して)(Bahussuto )
 6.施す(Cagava )
 7.お釈迦様が説く真理を理解している(Punnaya )
 8.少欲(Apiccho )

2010/12/01

道徳

財産は 家を美しく、豪華に飾るが  
人を美しく、立派にするのは 道徳 である
服は 身体を美しく飾るが 
人を美しく、清らかにするのは 善い行為 である

外見をいくら飾っても 立派な人間にはなりません。
心を清らかにし、道徳的な生き方をすることによって、
人は立派な人間になるのです。

地位、階級、肌の色、財産、権力が 人を立派にするのではありません。
人を価値ある立派な人間にするのは、道徳です。
  
~スリダンマナンダ長老

2010/11/29

リンカーン

善いことをすれば幸福になる
悪いことをすれば不幸になる
これがわたしの宗教である

~エイブラハム・リンカーン

2010/11/25

自己に打ち克つ

自己に打ち克つことは
他人に勝つことよりも優れている
神も、悪魔も、梵天にも
常に自己を制御し おこないを慎んでいる人の勝利を
打ち負かすことはできない

~ダンマパダ

2010/11/01

何のために戦うのか?

人類の歴史は、貪欲、憎悪、傲慢、嫉妬、わがまま、妄想などが 絶え間なく表面化してきた混乱の現れです。過去3000年間に 人類は大きな戦争を 15000ほど起こしたと言われています。
戦うことは 人間の特性なのでしょうか? 何のために戦うのでしょうか? 人間はなぜ同じ仲間である人間を殺すのでしょうか?
私たちは、攻撃性という本能に従うべきではありません。
そうではなく 幸せになるために、賢者が説く智慧の教えに耳を傾け、道徳的な行為をとるべきです。
 
~スリダンマーナンダ長老

2010/10/24

自ら励みなさい

よく、このような質問を受けます。

「自分の心に慈悲を育てたら、他人の痛みや苦しみ、憎しみを取り除くことができますか?」

お釈迦さまですら、他の人にたいして 「やすらかで幸せになりますように」と願うだけでは、その人の痛みや苦しみを取り除くことはできませんでした。

お釈迦さまはこのようにおっしゃいました。
 
 あなた方は解脱するために 
 自ら励みなさい。
 ブッダは法を説くだけである。

 グナラタナ長老

2010/10/21

刺激論〈もくじ〉

スマナサーラ長老法話

刺激論:スマナサーラ長老法話


1 眠っている頭

2 生ごみより臭い妄想

3 刺激の奴隷

4 知っているのは「主観」

5 パパンチャのからくり

6 囚われずに歩む


文責:出村佳子

生きとし生けるものが幸せでありますように

2010/10/17

「他者に尽くす」とは

「他者に尽くす」ということは、
自分を犠牲にして 自分ができる以上のことをやることだ
と多くの人が考えています。
しかし、これは事実ではありません。
なぜなら、どんなことも
「どんな心で尽くすか」という その人の気持ちや
どのくらい「無私の心」を育てているか、ということで決まるからです。

~スリダンマナンダ長老

2010/09/30

阿羅漢の智慧

阿羅漢 (完全に覚った人)の智慧 は、
ものごとを あるがままに観察します。
心を散乱させることも 混乱させることもなく、
生じてくる諸々の感覚を 
始めから終わりまで観察するのです。

2010/09/25

瞑想をすると・・・

瞑想をすると、心も身体も 自然にリラックスします。
そして 煩悩は消えていきます。
眠気や睡魔は 注意深さに換わり、
曖昧さや優柔不断は 確信に換わります。
怒りや憎しみは 喜びに換わり、
不安や悩みは 幸福に換わります。
そして潜在意識に埋もれていた慈しみが表面にあらわれ、
それによって 私たちは より穏やかで幸せになるのです。

~グナラタナ長老

2010/09/18

心が清らかな人を非難する人・・・

心が清らかな人を非難する人は、
天に向かって唾を吐くようなものです。
唾は天を汚さず、唾を吐いた人を汚します。

他人の悪口を言う人は、
向かい風に向かって塵を投げるようなものです。
投げた塵は、投げた人に降りかかります。

心が清らかな人を傷つけることはできません。
苦しみは、悪口を言った人に戻ります。

~スリダンマナンダ長老

2010/09/12

自分の苦しみは・・・

自分に生じている苦しみは、自分の責任です。

何かにたいして いらだったり いやな気持ちになったりすれば、
自分の心に 苦しみが生まれます。

ですから、世界が悪いのではなく、
いやな気持ちになった自分が悪い
ということを 理解してください。

~スリダンマナンダ長老

2010/09/04

自分が一番愛おしい

全世界のどこを探しても、
自分より愛しい人を見つけることはできません。
自分が 他の誰よりも愛おしい。
そのように、他の生命も 自分のことが いちばん愛おしい。
それゆえ、自分を愛する者は 他の者を害してはなりません。

2010/08/29

怒り

怒りには
心のエネルギーを消耗させ、
これまで積み上げてきた瞑想や
戒律の実践を 台無しにする
破壊力があります

~グナラタナ長老