2014/11/21

心を注意深く調べてみると

なぜ、自分にたいして「思いやり」を
実践しなければならないのか、
と疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
『8マインドフル・ステップス』バンテ・グナラタナ著、出村佳子訳
「自分を思いやることは

わがままではないか」

「自分のことはどうでもいい。

真の精神修行とは、
他者を思いやることだ」

と言うのです。


これは一見すばらしいことのように聞こえますが、

自分を騙している可能性もあります。

自分の心を注意深く調べてみてください。


そうすれば、

「世界中で 自分よりも愛しい者は ほかにいない」
ということがわかるでしょう。

自分に思いやりを向けることは、悪いことではありません。


実際、それは 「他者を思いやる実践」の土台になるのです。


ブッダはこのようにおっしゃいました。


 心で 全世界を捜してみても、

 自分より愛しい者は どこにも見いだせない。

 そのように、他者にとっても自分は

 このうえなく 愛おしい。

 ゆえに、自分を愛する者は、

 他者を傷つけないように。
                  (ウダーナ5、1)



バンテ・H・グナラタナ著
  



2014/11/01

「気づく」ことによって

気づくこと (マインドフルネス) によって、
いったん立ち止まることができます。

気づくことによって、
・ 悪い思考や行動パターンが
  生じるのを防ぎ、
・ 生じたときには対処し、
・ 善い思考や行動パターンを育て、
・ それを維持する
のに必要な時間を与えてくれるのです。

また、無意識に行為をすることがなくなり、
自分の思考・言葉・行動を管理することができるようになります。

らに、現象を歪めることなくあるがままに洞察し、理解する 「智慧の眼」 が生じるのです。


8マインドフル・ステップス
バンテ・グナラタナ著


2014/10/14

8マインドフル・ステップス


ブッダの説かれた幸せへの道

八正道を現代社会で実践するためのガイドブック。

幸せを願う、すべての人へ。



ブッダが発見した真理


 幸せと幸せではないもの
 幸せのもと
 苦しみの罠
 段階的なトレーニング
 実践をサポートするもの
 生活をシンプルに
 自制の練習
 善い心を育てる
 指導者を見つけ、教えを探究する
 気づき(マインドフルネス)の実践を始める
 坐る瞑想
 痛みに対処する
 心を集中させる
 一分間のマインドフルネス


ステップ1 正しい見方 〔正見:Sammā‐Ditthi〕

 「原因と結果」を理解する
 「四つの聖なる真理」 〔四聖諦〕を理解する
   第一の真理――苦
   第二の真理――苦の原因
   第三の真理――苦の滅
   第四の真理――苦を滅する道
 「正しい見方」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ2 正しい思考 〔正思惟:Sammā‐Sankappa〕


 欲から離れる(手放す・施す)
 「物」を施す
 「人・経験・信仰」にたいする執着を手放す
 恐怖に対処する
 慈しみ
 敵を慈しむ
 怒りに対処する
 あわれみ
  「自分」にたいするあわれみ
  「親」にたいするあわれみ
  「子ども」にたいするあわれみ
  「妻・夫」にたいするあわれみ
 「正しい思考」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ3 正しい言葉 〔正語:Sammā‐Vācā〕


 真実を話す
 言葉は武器ではない
 やさしい言葉
 無駄なおしゃべりをしない
 「正しい言葉」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ4 正しい行動 〔正業:Sammā‐Kammanta〕


 五つの戒律 〔五戒〕
 行動をするときの道徳
 殺さない
 盗まない
 淫らな行為をしない
 放逸の原因となり、酔わせる酒や麻薬類を使用しない
 在家者の「高いレベルの戒律」
 「正しい行動」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ5 正しい生計 〔正命:Sammā‐Ājīva〕


 「正しい生計」かどうかを判断する
 「正しい生計」を見つけるには
 「正しい生計」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ6 正しい精進 〔正精進:Sammā‐Vāyāma〕


  十種類の束縛
   束縛1 我があるという見解 〔有身見〕
   束縛2 疑い 〔疑〕
   束縛3 儀式儀礼への執着 〔戒禁取〕
   束縛4 感覚器官の対象への欲 〔欲貪〕
   束縛5 怒り〔瞋恚〕
   束縛6・7 存在への微細な欲 〔色貪・無色貪〕
   束縛8 自分がいるという潜在認識 〔慢〕
   束縛9 うわつき 〔掉挙〕
   束縛10 真理を知らないこと 〔無明〕
 五つの妨害物 〔五蓋〕
   五蓋1 欲 〔貪欲〕
   五蓋2 怒り 〔瞋恚〕
   五蓋3 沈鬱・眠気 〔惛沈睡眠〕
   五蓋4 うわつき・後悔 〔掉挙後悔〕
   五蓋5 疑い 〔疑〕
 「正しい精進」の四つのアプローチ
   悪い心が生まれるのを防ぐ
   悪い心に対処する
   五蓋に対処する
   善い心を育てる
   善い心を維持する
 「全体」を見る
 「正しい精進」のマインドフルネス
 Key Points

ステップ7 正しい気づき 〔正念:Sammā‐Sati〕


 四つの気づきの対象
 「身体」に気づく
   呼吸に気づく
   姿勢に気づく
   身体の部分に気づく
 「感覚」に気づく
 「心」に気づく
 「法」に気づく
 Key Points

ステップ8 正しい集中 〔正定:Sammā‐Samādhi〕


 善い集中とは
 禅定のステージ
   第一の禅定(初禅)
   第二の禅定
   第三の禅定
   第四の禅定
 「正しい集中」のマインドフルネス
   禅定を「使う」こと
   自分を騙さない!
   忍 耐
 Key Points

ブッダの約束


 覚 り
 みずから、たしかめる

*********
ブッダの教えを、正しく理解したい。実践して、心の安らぎを体験したい。実践中に起こるさまざまな問題を解決したい。このような希望がある方々に、グナラタナ長老のこの本は最適です。
スリランカ初期仏教 
アルボムッレ・スマナサーラ長老推薦
*********

エイトマインドフル・ステップス



2014/08/31

自分の心を清らかにできるのは



自分を大切にしてください。
自分は完璧ではありませんし、
欠点もあるでしょう。
しかし、自分の心を清らかにできるのは
自分しかいないのです。
自分を知るプロセスは、
まず、自分を完全に受け入れることから始まるのです。

『マインドフルネス ―気づきの瞑想』
グナラタナ長老(著)より



2014/06/15

父の日に



父と母が… 
健康で、幸福で、安穏でありますように。
危害がありませんように。
困難がありませんように。
問題が起こりませんように。
願いごとが叶えられますように。
困難や問題に出あったとき、
忍耐、勇気、理解、決意をもって、
乗り越えられますように。

グナラタナ長老


2014/05/14

ルンビニ(Lumbini)


人間に生まれることは難しい。
死する者が生きることも難しい。
真理を聴くことも難しい。
仏陀の出現は未曽有である。
Dhammapada182


2014/04/19

ウェーサーカ祭

スリ・ダンマーナンダ長老著

 仏教の年中行事のなかで最も有名な行事といえば、聖なる三大事のウェサック(ウェーサーカ)祭です。これは仏教徒以外の人たちにも広く知れわたっている行事です。
 ウェサックとは、古代インド暦のウェサック月のことです。通常、ウェサック祭は五月におこなわれますが、四月下旬になることもありますし、六月上旬になることもあります。

 ウェサック(Wesak)の語源は、パーリ語ではウェーサーカ(Wesākha)、サンスクリット語ではワイサーカ(Waisākha)です。国によってはウェサック祭とかウェーサーカ祭と言わずに、「釈尊の日」として知られている国もあります。


偉大なる王子の誕生


 世界総人口の五分の一からにもなる大多数の仏教徒にとって、ウェーサーカ祭は特別に重要な日です。東は東京から西はサンフランシスコまで、世界中の多くの寺院に仏教徒たちが集まります。そして王室の快楽を捨て、人類に平和と幸福をもたらしたインドの王子に敬意を表します。

 正自覚者である釈迦牟尼仏陀は、紀元前六三二年、ウェーサーカの満月日に誕生されました。この幼い王子は「シッダッタ」と名づけられました。意味は、「すべての善いことをする者」です。シッダッタ王子の両親、スッドーダナ王とマハーマーヤ妃は、インド北部に位置する小さな王国を統治していました。

 王子が誕生したとき、老齢のアシタ仙人が宮殿を訪れました。そして王子を抱きあげて、最初に微笑んでから次に涙を流しました。そばにいた人たちは、その普通ではない態度を見て、「どうなされたのですか?」とたずねると、アシタ仙人はこのように言いました。

 「私が微笑んだのは、この王子はやがて、王位を継げば世界を治める偉大なる転輪聖王になり、もし出家すれば、世の人々を救い導く仏陀(真理に目覚めた方)になるだろう。私が涙を流したのは、王子が成長するまで私は生きていられないからである」


優れた智慧をもつ王子


 ゴータマ・シッダッタ王子は宮殿で暮らし、この世のあらゆる贅沢を享受していました。両親は、王子が外界の不快な現実に触れないようにと王子を保護しました。
 王子は聡明にして武芸に優れ、卓越した知性を発揮していました。しかし、そのような一時的な喜びには満足していなかったのです。

 王子は思慮深い人でした。ある日、一匹のヘビがカエルに食いつき、次の瞬間タカが空から舞い降りてきてカエルを銜えたヘビを捕まえ、飛び去っていく、という光景を目の当たりにしました。王子は考えました。
 「生きるということは、いま見た光景のように、絶えず強者が弱者を打ち負かすことではないか。この生存競争が終わるときにのみ、幸福が見つかるのだ」と。

 またある日、王子が宮殿の門外に出たとき、腰の曲がった老人と病人と死人を目にしました。王子はゾッとしました。いくら身体を大切にしていても、身体は老・病・死に支配されている、と。
 老人、病人、死人を見たあと、一人の行者を見ました。着ているものは簡素な衣でしたが、世俗の情欲を捨て去り、平穏な心を身につけていました。王子は、その行者が発している幸福と落ち着きに深い感銘を受けました。

 そして二十九歳のとき、すべてを捨てて、出家したのです。老・病・死の苦を解決し、幸福に至る道を求めるために。
 沙門となったシッダッタは、はじめ数人の指導者のもとを訪れて指導を受けました。しかし指導者の智慧には限界があり、自分が探し求めている問題を解決する助けにはなりませんでした。そこで、自力で真理を探究することを決意しました。並々ならぬ修行をし、六年もの歳月を経たのち、ついに真理に目覚めたのです。

 最初に覚ったことは「中道」です。「世俗の快楽に耽ることも、身体を痛めつける苦行に没頭することも、その両極を避けるべきである。心を清らかにして安らぎを得るためには、あらゆる面で中道を実践しなければならない.という真理です。


成 道


 沙門シッダッタは三十五回目の誕生日に、ブッダガヤーの菩提樹の根もとに坐って瞑想しているとき、ついに完全なる覚りを開かれ、正自覚者となり、成道されました。この日も、ウェーサーカの満月日だったのです。


真 理


 お釈迦様は、すべての苦の根源は無明であることを覚りました。人はエゴという幻覚に執着し、これがエゴを満たそうとする 欲望を生みだしているのです。

 お釈迦様の教えの根幹をなすものは、四つの聖なる真理(四聖諦)です。

 一番目は「苦の真理」です。生は、老・病・死・不満という苦しみに満ちています。いくら喜びを追い求めても、それは手に
入らず、さらなる苦痛や不満で終わるということです。

 二番目は「苦の原因の真理」です。欲望やわがまま、限りない渇愛が苦を引き起こしているということです。

 三番目は「苦の滅の真理」です。渇愛が取り除かれたとき、苦が滅します。四番目は.苦を滅する道の真理.であり、聖なる八正道のことです。

 聖なる八正道とは、「正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」の八つの道のことです。


入 滅


 他の偉大な宗教指導者たちと同様に、お釈迦様にもお釈迦様の教えに反発する者たちがいました。しかしそのうちの大勢が、説法を聞くうちにお釈迦様の教えに真理を見いだし、お釈迦様に帰依し、存在の苦しみから解脱するために正しい生き方を歩み始めたのでした。

 覚りを開いてから四十五年後、お釈迦様はクシナーラーで、大勢の比丘たちが見守るなか、二本の美しい沙羅双樹のあいだに横たわり、息を引きとりました。このお釈迦様の死は、究極の平安と至福への到達、つまり涅槃(Mahā Parinivāna)として知られています。この偉大なる出来事も、ウェーサーカの満月日に起こりました。仏教の紀元は涅槃、いわゆるお釈迦様の入滅日から始まるのです。


聖なる三大事

 
 ウェーサーカ祭には、世界中の仏教徒たちが、ゴータマ・ブッダの.誕生・成道・涅槃.という三つの偉大なる出来事をお祝いします。
 仏教はインドを出発点として世界のあらゆる国々に広がりました。そして教えを理解した人々の文化に、ただちに溶け込んでいきました。その結果、仏教美術や仏教文化はそれぞれの国で豊かに多種多様な形となってあらわれたのです。お釈迦様は断固として暴力を禁じましたから、その美術や文化は、慈しみ深く、あわれみ深いものとなりました。

 仏教の慣習も、仏教を受け入れた国々の文化に合うようにさまざまな形で適合していきました。ですから、ウェーサーカ祭も世界中さまざまなやり方でお祝いされているのです。とはいえ、本質的にその内容の多くは世界共通になっています。

 ウェーサーカ祭をお祝いするときに忘れてはならない最も重要なことは、この聖なる日は仏教の清らかな祝祭日だということです。ご馳走を食べたり、飲んだり、踊ったりして、お祭り騒ぎをする日ではありません。
 この日は、仏教徒たちが仏法にたいする「信」を再確認し、心を清らかにする日です。瞑想をしたり慈しみを実践したりする日なのです。


お釈迦さまへの敬意

 
 お釈迦様にたいしてどのように敬意を表せばよいかということについて、お釈迦様は非常に大切なことを説かれています。
 お釈迦様が涅槃に入られる前のことです。忠実なお弟子のアーナンダ尊者が嘆き悲しんでいるのを見て、お釈迦様はこのように説かれました。

 「悲しむな、構成されたものはすべて(この肉体も)滅びるのです」

 そして皆にたいして、

 「この肉体が滅びても、嘆いてはなりません。私が死んだあとは、私が説いた教え(法)がお前たちの師となるのです」

 法だけが、この世の中で永遠不変なものであり、無常の法則に支配されていないものなのです。

 さらにお釈迦様は、「私に敬意を表したいなら、単に花や線香、ろうそくを供えるだけではなく、偽ることなく正直に教えを実践して、精進しなさい」と強調されました。

 これがウェーサーカ祭のお祝いの仕方です。私たちが正しく生きることを決意して、心を育て、慈悲を実践し、人類に平和と幸福をもたらすために、ウェーサーカの満月日をお祝いするのです。

  聖なる三大事の日、ウェーサーカ祭が
  すべての生きとし生けるものに
  幸福と安穏をもたらしますように


  ■全訳はこちらです。


 CELEBRATION OF WESAK
 by Venerable Dr. K. Sri Dhammananda Nayaka Maha Thera,

 Published by the Buddhist Missionary Society Malaysia,
 Buddhist Maha Vihara
 123 Jalan Berhala, Brickfields 50470 Kuala Lumpur, Malaysia
 Published for free distribution

  



2014/04/08

Those Who Cross Over

 There are few among humans 
 who go to the further shore;
 The rest of them run about 
 here, on this shore.

 But those well established
 in Dhamma,
 Those who practice Dhamma,
 Are among those who will cross over
 Beyond the realm of death 
 so difficult to escape.

 Abandoning the way of darkness,
 Cultivating the bright,
 The wise go from home to homelessness,
 Which for others is hard to enjoy.

 Desiring that rare delight,
 Renouncing pleasure,
 Owning nothing of defilements of the mind,
 The wise person should cleanse himself.

 Those whose minds are well established
 In the factors of enlightenment,
 Relinquish attachments
 And delight not in clinging.
 They, untainted and radiant,
 In this very world attain Nibbana.

 Paragamino Gatha
 Bhante Henepola Gunaratana. The Bhavana Vandana




2014/03/24

『スターピープル』誌第49号


Star People』第49号(ナチュラルスピリット)で、

マインドフルネスを越えて』を

ご紹介いただきました。ありがとうございます。


 




ヴィパッサナー瞑想の入門書である『マインドフルネス』 の続編。ヴィパッサナーの実習者に向けて 禅定のステップなどを解説する。集中を妨げる五蓋(ごがい)や 十の束縛の除き方など、テーラワーダ仏教伝統の方法を説き、解脱への道を示す。正統派の瞑想指南書。


 ******


 
Vol.49(StarPeople 2014 March)



http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033013293&Action_id=121&Sza_id=C0&Rec_id=1008&Rec_lg=100813マインドフルネスを越えて







2014/03/04

非難に向き合う

ときには不当な非難を浴びせられたり
悪口を言われたりすることもあるでしょう。
そのようなときは、いつでも
客観的に見なければなりません。

自分に向けられた非難が、不当なもので、
根拠がなく、悪意のあるものなら、
それを受け入れる必要はありません。
臆病になって自分の尊厳をおとしめないようにしてください。

自分に非がなく、道徳に従い、賢者に称賛されるような正しい行為をしているなら、
事実無根の非難に悩まされる必要はないのです。

お釈迦さまはこのように説かれています。
「この世の中に非難されない人はいない」 
(dhammapada)

スリダンマーナンダ長老



2014/01/26

「正しい集中」 と 「間違った集中」



「正しい集中」  とは、


意識がしっかりとはたらき、
気づいている状態で、
ひとつの対象に集中することです。

気づき  と  明晰な理解 〔*sati , sampajanna〕 

はたらいていること、
これが  「正しい集中」  (禅定・正定) の特徴 です。
外の世界には 気づかないかもしれません。
でも、禅定に入っているあいだ、
「心で何が起こっているか」  ということには 正しく気づいているのです。

「間違った集中」 (邪定)とは、


気づきがない状態で、対象に夢中になること です。
これは 危険です。 
対象に 執着し、しがみつく可能性があるからです。

ですから、もし 「間違った集中」 をしていることに気づいたら、

できるだけ早く、そこから出るようにしてください。
その状態は魅力的なもので、心は簡単に依存してしまいますから。


正しい禅定 とは、


多くの善の心が調和して、一緒にはたらいている バランスのとれた状態です。
調和しているとき、心は落ち着き、リラックスし、静かで、おだやかです。
このとき、「気づき」 「精進」 「集中」 「理解」 が統合されて はたらいています。
善の機能が すべて 協力しあって はたらいているのです。
これが、正しい禅定の状態なのです。

バンテ ・ ヘーネポラ ・ グナラタナ著


マインドフルネスを越えて-集中と気づきの正しい実践』




2014/01/12

気づき


誰でもときどき、自分を 「怒らせようとする人」 に出会うものです。


気づき(マインドフルネス) がなければ、自動的に 怒りや憎しみで反応してしまうでしょう。


『マインドフルネスを越えて』バンテ・グナラタナ著/出村佳子訳


気づき(マインドフルネス)があるなら、
他人の言葉や行動にたいして 自分がどのように反応しているのかを観察することができます。

坐って瞑想しているときのように、

欲や怒りが生まれるのを観察することができるのです。

気づき は、悪い行為にたいするセーフティネットのようなものです。

気づき があるとき、感情に押し流されることはありません。
他人の非難にたいして
クセや反応で応じるのではなく、
智慧と慈悲をもって 対応することができるのです。



バンテ ・ ヘーネポラ ・ グナラタナ著

マインドフルネスを越えて-集中と気づきの正しい実践』



2013/11/30

絶えまなく流れつづける現象の変化・・・


絶えまなく流れつづける
現象の変化を観察するためには、
心が安定し、しなやかで、
柔軟で、清らかでなければなりません。
こうした心の明晰さは、

集中した心にのみあらわれるものなのです。
(本文より)

マインドフルネスを越えて-集中と気づきの正しい実践』 

 

2013/11/23

『マインドフルネスを越えて―集中と気づきの正しい実践』


……過去2000年以上にもわたって、「集中」と「気づき」 の二つの道は、十分な根拠のある実践法として体系化され、洗練されてきました。この二つが一緒にはたらいているとき、最も効果的に瞑想は機能するのです。


マインドフルネスを越えて/バンテ・H・グナラタナ著/出村佳子訳
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033013293&Action_id=121&Sza_id=C0&Rec_id=1008&Rec_lg=100813マインドフルネスを越えて
バンテ・H・グナラタナ著
出村佳子訳
サンガ

二つの道とされていますが、実際のところ、道は一つです。事実、ブッダは「サマタ」と「ヴィパッサナー」を別の道として教えられませんでした。一つの瞑想の道であり、「苦を滅するワンセットの道」 として教えられているのです。

(バンテ・H・グナラタナ「まえがき」より)


目 次



まえがき

第一章 集中の道

「信」はどのくらい必要なのか? 
なぜ深い集中が必要なのか?
ブッダに倣う 
禅定のロードマップ 

第二章 集中と禅定

どうすれば集中できるのか?
禅定とは何か?
正しい集中(正定)と間違った集中(邪定)
集中と気づき
明晰な理解 ―― 正知
禅定のメリット
禅定の落とし穴

第三章 準備を整える

道 徳
充実感
感覚を制御する
離れること ―― 遠離
気づきをもって観察する
八正道の実践
気づき
五つの力 ―― 五力

第四章 自分と他者への慈しみ

思考と行動で慈しみを実践
五種のタイプの人への慈しみ
なぜ禅定に慈悲が必要なのか?
慈悲の瞑想

第五章 呼吸の瞑想

呼吸のヴィパッサナー(観察)
四大要素 ―― 地・水・火・風
日常生活での瞑想

第六章 なぜ、集中できないのか?

なぜ五蓋が増えるのか?
集中と気づきで五蓋をブロック
五蓋に対処する
呼吸を数える
五蓋の取り除き方
束 縛(結)
五下分結
五上分結
禅定で無明を破壊する
心を観察し、話しかける

第七章 目的を明確にする

無 常
なぜ無常を見ることが重要なのか?
無常を「ヴィパッサナー」で観察する
無常を「禅定」で観察する
無 我
無我を経験するとは?

第八章 禅定のステージ

色界禅定
無色界禅定
出世間定 

第九章 近行定—— 禅定の入り口

瞑想対象を選ぶ
禅定の入り口
集中力の高まり
近行定と呼吸
第一禅定に近づく

第十章 第一禅定

もう一つ別の喜び
第一禅定の五つの要素 ―― 五禅支
善い思考 ―― と伺
禅定における「思考」のはたらき
七つの覚りの要素 ―― 七覚支

第十一章 第二禅定・第三禅定

第二禅定に達する
第三禅定に達する
禅定の熟達
熟達のステップ ―― 五自在
禅定はジャグリングのようなもの 

第十二章 第四禅定

集中と智慧の統合
禅定から出てヴィパッサナーへ?
感覚に基づく「捨」
心の統一に基づく「捨」
光と智
無相・無執着・空
第四禅定を使う

第十三章 無色界禅定

四つの無色界禅定
第一の無色界禅定――「虚空無辺処」(空無辺処)
第二の無色界禅定――「識無辺処」
第三の無色界禅定――「無所有処」
第四の無色界禅定――「非想非非想処」

第十四章 出世間定

聖なる出世間の道
「疑」の消滅
八つの覚りの段階(*預流・一来・不還・阿羅漢)

用語解説


もっと見る ⇒ こちら


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マインドフルネスを越えて
集中と気づきの正しい実践
バンテ・H・グナラタナ著
出村佳子訳
サンガ

2013年12月1日 1刷発行
2016年 1月1日 2刷発行
2019年 2月1日 3刷発行








2013/11/13

Bhante Gunaratana's talks

Is attainment of Jhana a pre condition for the awakening of insight meditation and wisdom?
Is vipassana or insight meditation a more direct and faster way to awaken wisdom?

Bhante Gunaratana at Buddhist library, Singaporeシンガポール. sadhu!



2013/10/02

親孝行

スリダンマーナンダ長老 
質問 「親孝行」について
 
 私は両親と遠く離れて暮らしていますが、どうすれば両親にたいし、親孝行をすることができるでしょうか?


答え (スリダンマーナンダ長老)
 
 老いた両親の近くに住んでお世話をするのが一番よいことでしょうが、他にも多くのやり方で感謝を示すことはできます。両親が若いころ私たちを育て、面倒を見てくれた恩にたいして、感謝を示すことができるのです。

 まず、思い出してください。子どものとき、両親が自分のことを大事に思っているかどうかを知りたくて、いつも両親と話したがっていました。
今は、いつでも話すことができます。

 定期的に電話をかけたり、お金をおくったり、ちょっとした贈り物をすることもできます。
両親が周りの人たちに自慢できるようなことをすることができるのです。両親は子どものことを自慢することが好きですし、子どもがいかに立派に生きているかということを話したがるものです。

 それから両親には、「子どもが自分のことを大事にしてくれている」
という何か証拠になるものが必要です。贈り物は高価なものである必要はありません。「お父さん、お母さんのことを思っています」などのメッセージを書いたカードをときどき送るだけでも、思いやりのある気づかいになります。特別な日を待つ必要はありません。

 それから当然、できるかぎり、両親を訪れるべきです。そして伝えてください。「お父さん、お母さんのことを大事に思っています。お母さんが作るおいしい料理が食べたいし、お父さんのアドバイスが聞きたいです」などと。

 両親は、自分が子どもの人生にとって重要な存在である、ということを知りたいものです。ですから、次のようなことは決して思わないでください。「私が両親を大事に思っていること、両親は知っている。そんなこと、わざわざ口に出して言う必要はない」などと。
 愛情や感謝を、形にして表すことが必要なのです。